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本来の自己啓発

★本来の自己啓発とは

啓発の語が孔子の語りに端を発することから考えて、本来あるべき啓発の姿とは、「師が弟子をただしく教え導くこと」と言い換えることができます。

そして論語が「一隅を挙げて三隅を以て反せざれば復びせざるなり」と述べているように、師は一つの角から三つの角を推測できない弟子に対して、それ以上教えることはできないのが現実です。

この場合の「師と弟子」を自分自身に置換して考えた場合でも、やはり「それ以上が推測できなければ、それ以上のことはわからない」という限界が生じます。こうした学問における自己限定枠は、基礎学習・熱意・知恵の三位一体で打破してゆくしかありません。

1960年代からの流れを汲む自己啓発業界は、限界や行き詰まりに対して熱意ばかりを取り上げ、心の持ち方次第で環境は変わるといった極端なストーリーを展開します。しかし古来、膨大な数の先人たちが体得してきた事実は覆しようがありません。人間は限界を打破するためには、やはり基礎学習と知恵が必要なのです。熱意の応用だけで知識不足をカバーすることは困難です。仮にできたとしても、本分を偽ることになるでしょう。

本当に自己を啓発したいのであれば、セミナーにだけ依存するのではなく、様々な方法の一つとして活用する程度に留めるべきです。

不況の時代を生き抜くためにはなんらかの実力が必要です。知恵、経験、思考力、実行力など、持つべき実力のかたちは様々ですが、どれも持たずに、飛躍した手法へと逃げ道を求めるのは賢明と言えません。 論語で「憤せざれば啓せず」と説かれているように、まず「憤(やる気)」がなければ実力の獲得に結びつきません。インストールされていなければアップデートができないように、内発の意欲という基盤が人間の成長には不可欠です。 自己啓発セミナーは意欲のない人に対して「こうしたら意欲が生まれる」と説くところが大半ですが、それは本来あるべき教育の手順から逸脱しています。

自分に必要なものをすべてお金で買おうとすることが「憤」からほど遠い行為です。学びたいのであれば飛躍せず、啓発よりも学習に取り組むのが、あるべき態度ではないでしょうか。

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